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問い:猿の起源と原人の起源を述べよ 日本に20万年前の石器があった理由を述べよ

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問い「猿の起源を述べよ」 解答難度C 採点者 天逆毎 (あまのざこ) 天狗 (あまのきつね)

1:6500万年前の隕石衝突によって恐竜が絶滅し、そのときに生息していたプレシアダピス類(霊長類の祖先:厳密にはプレシアダピス類であるプルガトリウスなどにおいては化石の歯が断片的であり断定できないため霊長類様哺乳類と言われる。)の一部が幸運にも生き残った。生き残った理由としては、足首の関節可動域が広く、木登りに適していたことや、色を見分ける目をもつことで、適切な昆虫や適した熟れ具合の果実を食べることができた点が挙げられる。

2:隕石衝突後の気候変動に伴う食糧の減少においても、森林内で食料獲得に秀でた種が生き残ることは必然であり、絶滅の危機に瀕することで種の適応と分化が促進された(ボトルネック効果)。

3:暁新世(6500~5500万年前)において、プレシアダピス類は栄えた。このときは主に北アメリカとヨーロッパに生息していた。

4:始新世(5500~3400万年前)において、プレシアダピス類は、アダビス類(北アメリカ)とオモミス類(ヨーロッパ)に大きく分化し、始新世末期においてはプレシアダピス類自体は絶滅した。

5:始新世末期から漸新世始期にかけて、アダピス類からはシバラダピス類(中新世末期頃(500万年前)絶滅)、キツネザル類(現在も生存:マダガスカル島のみ)、ロリス類(現在も生存:アフリカおよび東南アジア)が分化した。同じくオモミス類からはメガネザル類(現在も生存:東南アジア)および真猿類(ヒト・類人猿・旧世界ザル・新世界ザル含む)が分化した。また、真猿類は分化後しばらくして、広鼻猿類(現在は南米に生息している新世界ザル)と狭鼻猿類(現在はアフリカやアジアに生息する旧世界ザルおよび類人猿とヒト)に分化した。

6:漸新世頃(2500万年ほど前)に偶然が重なり、アフリカ大陸から海洋を超えて南米大陸にまで到達したのが新世界ザルである。またこの頃、アフリカやアジア(旧大陸)の霊長類は、旧世界ザルとホミノイド(類人猿・ヒト)の2グループに分化した。2500万年ほど前から1000万年ほど前(?)頃はホミノイドが優勢であったが、おそらく気候変動などの影響で、ホミノイドは絶滅の危機に瀕しており、その傾向は現代にまで続いている。

7:2000万年ほど前にアフリカで出現した旧世界ザルは、菜食主義のコロブス類と雑食のオナガザル類に分化していく。

8:2000万年ほど前にアフリカで出現したホミノイドは次第にユーラシア大陸に勢力を伸ばしてきた。その中で、1000万年ほど前?にホミノイドからテナガザルが分化し、現在も生存(東南アジア)している。

9:鮮新世(500万年前)頃?(アフリカ大陸を地溝帯が分断した1000~500万年前)にホミノイドから類人猿の系統が分化した。これは、地溝帯の東に取り残され、絶滅の危機に瀕したホミノイドが種の存続のため適応した結果、猿人(アウストラロピテクス)が出現した。身長120~140cm、脳容積500ml、前かがみで二足歩行できるようになったため、手がフリーになった(生き残りに必要な最大の変化の一つ)。その結果、原始的な石器程度は使いこなせた。

 

問い「原人やヒトの起源を述べよ また20万年前の石器が日本に存在した根拠を合わせて述べよ」 解答難度C 採点者 天狗

上の通り、1000~500万年前の東アフリカにおいてグレートリフト(地溝帯)が出現した。ちょうどこのあたりがマントルの上昇流同士がぶつかる場所であり、中央部の巨大な谷と周囲の高い山および火山を形成することとなった。このことによって森林から草原に追いやられたホミノイドの一部は樹上生活に適応していたため絶滅したが、また一部は猿人(アウストラロピテクス)に分化して生き残った。二足歩行できるようになったため、手が自由になった。手を使いこなすことで、他の種族では手に入れられない食糧を採り、生き延びることができた。高いところから硬いクルミを落として割り、中の種子を食べるリスや、貝に石を叩きつけて割って中身を食べるラッコなども、他の種族と差をつけて生き延びた分かりやすい例である。アウストラロピテクスの初期では石を使う程度であったが、アウストラロピテクス末期(200~300万年前:アウストラロピテクス・ガルヒ)においては原始的な石器程度は使いこなせる能力を得ていた。

2:一方で、地理的に森林に居座り続けられた集団もおり、その一部は、樹上での四足歩行をとりつづける集団もいれば、跳躍力を伸ばして樹上生活にさらに適応した集団、懸垂力に長けて樹上生活にさらに適応した集団、腸内細菌を適応させて植物からアミノ酸を得られるようになった集団(ゴリラ)などがいた。なお、アウストラロピテクスは単に4足歩行から2足歩行になったのであって、ゴリラのような指の第1関節と第2関節の間で歩くナックルウォークや、オランウータンの拳で歩くフィストウォークは別々に派生した。

3:240万年前頃にアウストラロピテクスから初めてヒト科として分化したホモ・ハビリスであるが、結果的には140万年前頃に絶滅した。アウストラロピテクス(華奢型の猿人)自体は、およそ400万年前に分化して以降、200万年ほど前に絶滅した。一方で、アウストラロピテクスを祖先にもつとされる「頑丈型の猿人」が200万年ほど前に出現し、120万年前頃に絶滅した。この頑丈型(硬い植物、特に根などの食物を食べるために顎と側頭筋を進化させた集団)の猿人は、分類としてはパラントロプスであって、アウストラロピテクスに含めることは適切ではない。

なお、160万年前頃にアウストラロピテクスから分化した初期のホモ・エレクトスは、脳容量が600~700ml程度のホモ・ハビリスよりもさらに大きな750~800mlであり、後期では1100~1200mlにも及ぶ。その賢さからか、出アフリカを果たし、火の利用を可能とし、食料保存の安定のためか移動を可能とし、欧州などへの移動を果たし、調理を果たした。なお、被服の習慣は後のネアンデルタール人(65~35万年前ころに出現)あたりから始まったと考えられる。ホモ・エレクトスは様々な亜種を派生させながら、およそ11万年前まで生存していたとされる。

初めてのヒト科であるホモ・ハビリスと同じ祖先(アウストラロピテクス)をもつホモ・エレクトスは、160~140万年前の20万年間ほどは共存していた時代があったということである。そして、ホモ・ハビリスは生存競争に敗れ、ホモ・エレクトスは長期にわたり繁栄した。

(代表的なホモ・エレクトスの一種として、ジャワ原人(インドネシア:ホモ・エレクトス・エレクトス)が130万年前ごろ、出現し、かなり長期に繁栄できたが、10万年ほど前に集団死して絶滅した。)

(なお、ホモ・エレクトスの亜種として190~140万年前ころにホモ・エレガステル(脳容量900cc)も存在し、アウストラロピテクスとホモ属の中間的な位置づけである。)

(いずれにせよ、アウストラロピテクスとヒト科の最も大きな違いは安定した直立二足歩行であり、体幹の重心を安定させ、そのことが大きな頭部を安定させた。脳の発達は様々な知的な行動を可能にし、他の生物や自然との競争に敗れて絶滅することもあったが、生き残ったりもした。二足歩行そのものは一部の哺乳類もとることができるが、安定した直立姿勢を取れることはヒト科の大きな特徴である。)

(ホモ・ハイデルベルゲンシス(80~30万年前:脳容量1100~1400cc)はホモ・エレクトス・ハイデルベルゲンシスとしてホモ・エレクトスの亜種として捉えることができる。)

ホモ・エレクトス・ハイデルベルゲンシスから、40万年ほど前にホモ・ネアンデルターレンシス(いわゆるネアンデルタール人)が分化した。優れた頭脳をもち、被服の文化を生んだ。最終的にはユーラシア大陸において4万年前まで住んでおり現在は絶滅している。一方で、分化直前のホモ・エレクトス・ハイデルベルゲンシスの一部は東アフリカなどのアフリカ大陸におり、ホモ・ローデシエンシス(30万年前ころ分化)とよばれる状態まで進化を遂げていたと思われる。ホモ・ローデシエンシスは12万年ほど前に絶滅している。

しかし、ホモ・ローデシエンシスは絶滅する前にホモ・サピエンス・イダルトゥという種を分化させたかもしれない(主に東アフリカ:16万年ほど前)。さらに環境の変化による絶滅の危機から様々なボトルネック効果が生じ、ホモ・サピエンス・サピエンス、すなわち我々現代人類が結果的には生き残ることとなった。

ホモ・ハイデルベルゲンシスのごく一部の集団が早期(80~40万年前頃か)に出アフリカを果たした後にアフリカ外にてホモ・ネアンデルターレンシスに分化(65万年~35万年前頃か)した。その一方で、再びアフリカに戻ったか、あるいはもともとアフリカに残っていたホモ・ハイデルベルゲンシスの一部はホモ・ローデシエンシスに分化し、さらにそこから分化したのが我々の祖先であるホモ・サピエンス・イダルトゥという構図になる。

ところが、実際に我々の遺伝子には、ホモ・ネアンデルターレンシス(いわゆるネアンデルタール人)やホモ・アルタイエンシス(いわゆるデニソワ人:65万年前~35万年前頃にネアンデルタール人から分化したか)の遺伝子も混ざっている。種が同じであれば交雑が可能である。

例えば、デニソワ人は3万年ほど前にニューギニアで現代人と交雑した可能性がある。なお、デニソワ人は15000年ほど前に絶滅したかもしれない。

デニソワ人とネアンデルタール人も年代的には共存しており、またそもそも、デニソワ人のゲノムの一部はアルタイに住んでいたネアンデルタール人に由来している(これは、デニソワ人はネアンデルタール人から分化したことを指す)。

ホモ・サピエンス・イダルトゥは7万年前ころにアフリカを出たとするのが有力であり、実際その後にネアンデルタール人とも一部は交雑したとされる。その一方で、出アフリカを試みた集団は13万年前頃から何度か出現しており、基本的にはアフリカ外での定住に失敗してきた。とはいえ、奇跡的にネアンデルタール人と交雑した個体が多少存在していたかもしれない。

そういう意味では、出アフリカに適している集団とはホモ・ハイデルベルゲンシスにおいても非常に珍しいごく一部の集団であったといえる。早期(80~40万年前か)に出アフリカに成功したのであれば、同じ種という意味では競争相手が少なく繁栄につながったかもしれない。ただし、未開の地には別の肉食獣や自然の脅威などの課題が大量に存在している。未開の地の開拓に適した分化として出現したネアンデルタール人の能力の高さは容易に想像できる。また、そして、ネアンデルタール人の一部が時間をかけて世界中に適応していったことも理解できる。

生存競争には4万年前に絶滅したという意味ではネアンデルタール人は敗れたともいえるが、しかし、現生人類の遺伝子にネアンデルタール人およびネアンデルタール人から分化したデニソワ人のものが含まれているからこそ現生人類は生き延びてこれたともいえる。

まとめると、最初のヒト科はホモ・ハビリス(240万年~140万年前)であるが、160万年前頃に出現したヒト科のホモ・エレクトスの方が最終的に生き残った。ホモ・エレクトスの優秀な亜種としてホモ・エレクトス・エレクトス(いわゆるジャワ原人。130万年前~10万年前)やホモ・エレクトス・ハイデルベルゲンシス(80~30万年前)、それに続き早期に出アフリカに成功したホモ・ネアンデルターレンシス(65万年前~35万年前に出現し4万年前に絶滅)および、東アフリカに留まっていた(あるいは出アフリカ後にアフリカに戻ってきた)ホモ・エレクトス・ハイデルベルゲンシスから分化したホモ・ローデシエンシスからさらに地溝帯の出現によって分化を余儀なくされて出現したホモ・サピエンス・イダルトゥ(16万年前頃)が挙げられる。

結果的には、ホモ・サピエンス・イダルトゥが様々な環境への適応の中で現在のホモ・サピエンス・サピエンスともいえる現生人類に分化したが、しかし実際は、同じ種において一部は交雑され、ホモ・サピエンス・イダルトゥ(現生人類の直接の祖先)とホモ・ネアンデルターレンシス(出アフリカを早期に達成した開拓組)とホモ・アルタイエンシス(デニソワ人。実際はネアンデルタール人から分化しており近い種)の3つの亜種が交雑したのが現生人類といえる。むろん、ゲノムの大半がホモ・サピエンス・イダルトゥに由来していると考えるのが自然であるが、いずれにせよ、ホモ・エレクトス・ハイデルベルゲンシスの亜種同士が良いところを交雑しあって世界に適用してきたのが現生人類のホモ・サピエンス・サピエンスであるといえる。

さて、言語についてである。700~600万年前に分化したチンパンジーにおいて、発声の種類は、うなり声Grunt、ホーHoo、ほえBark、叫びScream、泣きWhimper、息吸い声Pantというように多岐にわたり、これらを用いて数百もの構文を作り、意思疎通ができたことに注目する。また、手話などの非言語的交流もできた。ただし、チンパンジーは口で呼吸が出来ず(というより、ほ乳類で口で呼吸ができるのはヒトだけ)、いわゆる言語や会話という領域であったとは言い難い。音や声を用いた交信自体は相当の種で行われていることである。

ネアンデルタール人が繁栄していた60万年前頃においては音声器官はある程度備わっていたといわれている。また、ヒト科は口で呼吸ができるため、チンパンジーにおいてさえ数百にわたる構文が作られているのだから、ネアンデルタール人(というよりも、ホモ・エレクトス・ハイデルベルゲンシスの亜種全般)においては一定の言語による交流があったとみなすのが自然である。

脳科学でいえば外側前頭前野の発達が大きい。結論からいえば、「火、熱い」「西、危険(日が沈む方向には危険な肉食獣が多い)」などの文章を理解することはできたと思われる。

(なお、火の利用は180~80万年ほど前、すなわちホモ・エレクトスの分化頃から、一部の集団において成功していた。実際、出アフリカを果たすためには食料の保存として火の利用は重要な条件であるから、出アフリカ成功組(80~40万年前か)は火の使い方をある程度知っていたであろう。)

ところが、外側前頭前野を損傷すると単語同士の相対的な意味を理解できなくなる。それは、「想像力を使って複数の事柄を統合する能力(前頭前野統合)」を損傷されたからだ。「火、熱い」は「熱い火」という一つの事柄を想像すれば良いので理解できるという理屈である。

さて、外側前頭前野が未熟な間に、単語同士の相対的な意味を理解しなければならないような文章に接触しなければ、外側前頭前野が成熟した後では、一生そのような文章の意味を正確に理解できなくなることが調査で分かっている。

ただし、外側前頭前野の未熟さとはすなわち、「火、熱い」などの単純な事柄の想像力の未熟さでもあるため、生存には不利であった。

ところが、外側前頭前野が成熟するまでに適切な年数がかかるような突然変異があり、そして、その個体が2対以上、互いに、外側前頭前野が未熟な間に会話をするようなことがあれば、単語同士の相対的な意味をもつ入れ子構造の文章を発明することができるはずである。

また、そのような個体は上記のように生存に不利であるから、そのような個体が運よく生き延びなければならなかった。

そのような奇跡が生じるには50万年ほどかかったかもしれない。その結果として、現代のような、単語同士の相対的な意味をもつ入れ子構造の文章が発明され、なおかつ継承されはじめたのは、今から7万年前頃であると推測できる。

ただ、この理論を推し進めるならば、そのような奇跡は、どのようなヒト科でも生じうるということである。複雑な文章や言語は、60万年前の時点で、しかも全世界に散らばっているどのネアンデルタール人においても、存在しうる。証拠が無いだけである。その一方で、そのような奇跡が生じる可能性が低いことも事実である。

ここで、「火、熱い」などの二語文は、そもそもヒト科以外の発声器官を有する相当数の種族においても用いられうる構文であるうえに、ヒト科においても、世界各地で行われてきた交流手段であると容易に想像できる。

現代の世界各地の言語の妙な共通性は、一つは、複雑な入れ子構造の言語を発明した優秀な集団が時間をかけて周囲に継承していったというものであり、もう一つは、このような単純な二語文および単語がネアンデルタール人時代から共通に使われていたものであるかもしれない。