自民党とは何だったのか 自由と民主
政党とは何かということを論じる気もなければ、歴史をたどる必要もない。時間の無駄である。
歴史を論じる者には必ず主張したいことがあり、そのために都合の良い部分を引用したり、解釈を変更したり、都合の悪い部分を引用しなかったりする。その実は、主張したいことへの権威付けにすぎない。純粋に学びを得たいがために歴史を論じる者はごく少数である。むろん、世に存在する歴史が真実かどうかは、推定の域を出ないが、ただこれは、「集合知」というものもあるから、「比較的もっともらしい真実」に近づいてはいるのかもしれない。伊藤博文が初代内閣総理大臣であった、などといった史実は真実であろう。批判的吟味を忘れてはならないが。
さて、自由民主党と民主党は全く異なる政党だ。しかし、自由がついている。なんというか、あいまいな名称だなあ、と思ったものだ(日本の自由民主党はアメリカの共和党よりも民主党と仲が良いという意味なのであろうか?)。
なお、アメリカの共和党と民主党だと、政策に色がついている。共和党という訳語が正確かはさておき、いわゆる自国第一主義的な共和党と、リベラル(日本語として何が良いか難しいが、国としての体裁は保ちつつ、都合よい形で、様々な国を混ぜていこうとする体制であろうか?)的な民主党、のようにみえる。しかし、自由民主党も、立憲民主党も、民主党という名前がついているものだから、今一つパッとしない。
利権民主党 VS 立憲民主党 という渾身のギャグであろうか。
自由民主党を全否定するつもりはない。諸外国に比べて、日本は圧倒的に自由である。それはGHQ主導で定めた憲法が非常によくできているという一面もあるだろう(なお、本文は、アメリカにはなびく保守、いわゆるビジネス保守的な論調ではない。部分的に重複するところもあるだろうが)。少々めちゃくちゃな情報を発信したところで、表現の自由に守られる。誹謗中傷は良くないが、基本的に、批判的吟味の自由や言論の自由は担保されており、また、誠実に謝罪すれば、大抵は許される。むろん、いずれも特定の個人への強い悪意がなければ、という前提である。
そういった意味では、自由民主党の「自由」 については達成されてきたといっても良い。それは我々日本国民が当たり前だと思っているが、自由民主党によって守られてきた権利という側面もある。
とはいえ、これらは我々日本国民が先祖代々受け継いできた国民性によるところもある。勤勉、真面目といった日本人のイメージは、何も戦後GHQによって洗脳されてできたイメージではない。有史、あるいはその前から、日本のような島国では、比較的、ユーラシア大陸における争いごと、とりわけ大陸中央の最強クラスの遊牧民族との戦いに巻き込まれずにすんできた歴史もある。そのため、農耕を主体とし、じっくり待つこと、考えることを大切にしてきた日本独自の文化があるはずである。
むろん、古代の血筋としては、陸続きであった時代までさかのぼれば、蒙古斑もあるわけだし、モンゴルだとか、大陸のものも入っているのだろう。
また、シベリアの一部の部族の言語と、日本語との奇妙な一致については、非常に興味深い。そのような立場の弱いロシア人でもある彼らが、徴兵されて命を落としていることは、日本人の遠い遠い生き別れの先祖が命を落としていることと捉えてもよいのかもしれない。極論をいえば、ロシア人も日本人と遠い遠い古代には兄弟であったのかもしれないが。We are the Worldとはよくいったものである。
恐ろしい猛獣といっても差し支えない、トランプ氏やプーチン氏のいずれもが、故安倍晋三氏に対して弔意を示したことは、象徴的な事実である。本来ならば、つながっているはずの人類は、どこに向かっていくのだろうか。悲しい現実である。
失うことが怖いから、周囲を威嚇するという現象は、生物のもつ死への恐怖からくるのだろう。それを防ぐためには「安心させること」が肝要なのであるが、安倍晋三氏は、それができた唯一無二の男、日本男児であったように思える。
さて、いずれにせよ、日本で生活しているから日本人というわけではない。マグルを嫌う純血のように、混血が問題であるとまでは言わない。しかし、日本国籍を取得したという事実と、日本人「然としている」という事実は全く異なる。島国日本では、「日本とは何だろうか」「日本人とは何だろうか」というアイデンティティは、考えるまでも無く備わっているものである。ところがこのことは、世界的に見ても稀有なことであることに、当事者である日本人の大半は気が付いていないように思える。「ガイジンさん」に向けられる畏怖の念、興味、嫌悪感、憧れ、そういったまぜこぜになった感情は、実は大切な感覚であった。そういった感情が薄れてしまうと、すなわちアイデンティティが薄れてしまうと、国とはもろいものである。
世界的には、日本以外にも島国はあるが、ほとんどはイギリスやスペインなどに植民地化されてしまい、その国々の「ソウル」は風前の灯火である。島国として、独自のソウルを現代にまで残しているのは日本の誇るべき特徴である。
あえて外来語で書いたが、日本が他国の文化を吸収することに長けているのは、日本人としての本質に疑いが無いからであるように思える。日本人としての軸がしっかりしているからこそ、他国の文化を利用し、吸収できる。妙なプライドがあるのは、自国の文化が不安定だからではなかろうか。
日本語が優れているのは、漢字のおかげでもある。漢というかつての中国の国名を使うことに対して、日本人は全く嫌悪感がない。それこそが日本人的な感覚である。中国に対する、歴史に対するリスペクトがあるので、他国の優れた文化や技術を使うことにためらいはない。外来語もそうである。しかし、どれだけ他国の文化を吸収しても、日本としてのアイデンティティは狂わない。日本人としてのプライドは揺るがない。それこそが日本の強さである。
むろん、天皇崇拝ということもあるだろう。とはいっても、かつての日本の歴史をたどれば、公家が強い時代もあれば、武士が強い時代もあった。天皇は確かに、象徴ではあったが、日本から天皇を引き算しても、日本は日本である。天皇を引き算するだけで日本が崩壊するような脆弱な状態ではない。
ところが、天皇は大切なのである。これは、天皇陛下の人柄とか、そのようなものは否定しないが、そういうことよりは、「古代からの血筋を大切にすることの象徴」であるように思える。何代目、だとか、明治何年創業、だとか、昔から血筋が続いていることについて、日本人は誇りに思っている。世界には、もちろんそのような状況はいくつか存在しているのかもしれないが、上述の遊牧民族との戦争によって、あるいはイギリスやスペインなどの侵略によって、ほとんどは血筋は途絶え、様々な民族と混じりあっているはずである。
世界的に見ても、数千年にわたって、これほどまでに血筋を守り抜いてきた民族はほとんどいない。
だからこそ、ヨーロッパ諸国のように、自民党などの政治家が裏金につられて「移民政策」をしようとしても、根強い反発にあって、なかなかうまくいかないのである。日本には、移民は合わないのだ。それだけのことである。
移民によって国力を増す国は、世界的には存在するように思える。というより、アメリカは、そもそも先住民を追い出して成立した国である。移民国家とまでいってしまうと、少し語弊があるので、正確には、「移民を起源とする国家」といえる。別に、それは悪いことではない。広い世界を誰がどう住もうと、自由である。ただし、公共の福祉に反しない限り、であるが。
日本は、類人猿のレベルまでさかのぼれば、大陸からホモサピエンスが移民してきたとはいえるのかもしれないが、大陸移動で島国となってからは、基本的には日本という島で国が発展した。船ができて自由に航海できるような時代になるまでの間に、日本民族は独自路線で進歩してきたのである。
日本という国を意識しはじめたのは、少なくとも江戸時代の伊能忠敬の日本地図ができたころなのかもしれないし、それは当時のものにしか分からないことだが、江戸時代より以前に、海から異形の者が襲ってくるという事態には、ときどき悩まされていたことは事実である。決定的に日本を意識したのは明治維新なのであろう。二度の世界大戦を経験するにあたり、日本がなぜここまで好戦的であったのかは、これも当時の者にしか分からない。
ただ、日本列島を守りたいという、愛国心が根底にあったのではないかと思える。当時でいう日本列島が、北方領土のみならず、樺太をも含んでいたことは当然である。蒋介石のいる台湾をどうみていたのかは今後知ることになるだろう。ただ、満州や朝鮮半島、今の中国のある大陸本土や東南アジアといった、当時日本の領土としていた部分について、本当に日本はそこまで領土して欲していたのか、やや疑問も残る。上述のような古代からの大陸移動や民族移動、日本人の気質から考えると、北方領土や樺太は、いわゆる「日本人」が住んでいたように思える。満州や朝鮮半島も、かなりの「日本人」が住んでいたように思えるが、このあたりは、大陸側の民族がいるところに、住ませてもらっているような状況にもみえる。それは最近の世界地図によって洗脳されたがゆえの感覚なのかもしれないが、少なくとも、島国としての日本人のアイデンティティでいえば、そういう感覚である。
こういったことから、沖縄というのが、地理的に特殊であり、独特の文化、言語を成していることにも合点がいく。沖縄はもちろん日本なのであるが、そういう理屈でいけば、台湾も日本的である。もっといえば、東南アジアも日本的である。ようするに、島国としてのアイデンティティなのである。仮に、沖縄にイギリスやスペインが侵略して勝利していたならば、我々の日本地図から、沖縄は、台湾と同じく、日本として認識されていなかったかもしれない。
島というよりは「諸島」なのであって、どこまでがつながっているとみなすか、というアイデンティティの領域のブレがあることは認識しておくべきであろう。それは江戸時代における蝦夷(北海道)への認識ともリンクする。
話がそれたが、とりあえず日本国民というのは、一時的にユーラシア大陸にも領土を持ちはしたものの、アイデンティティとしては日本諸島(日本列島)に古代から住んでいる、血を分けた兄弟としての認識が強い。移民政策など、不可能である。
自民党の民主、について
民主とはいっても、選挙制度そのものが民主主義的なのだから、わざわざ掲げなくともよい。右が左か、保守かリベラルか、で十分である。
保守党とリベラル党、あるいは護国党と売国党ならば分かりやすいのだが。
よくいう自分党というネーミングも面白くはあるが、しかし、政治家が自らを利するためには、必ず誰かが泣かねばならない。日本国をよくすることで、結果的に自らを利するような「国家感」を備えている政治家は5人程度いればよい方である。安倍晋三氏は、そのうちの一人であったように思える。完璧な政治家などいないが、自民党や野党が足を引っ張らなければ、さらなる日本の成長が見込めたことは疑いようが無い。
さて、ここで誰を泣かせるかであるが、簡単なのは日本国民である。きれいな増税でもステルス増税でもよい。また、笑わせるのは、外国人でよい。特定の外国人に有利な制度を作ることで自らを利するのである。結局、純粋な日本人が泣くことになるが。
そういった腐敗した政治家がはびこっている昨今であるが、こういったことはヨーロッパほど深刻ではない。それは日本人としてのアイデンティティは数千年以上にわたり培われた「血脈」というべきものであり、そう簡単には崩せないからである。とはいっても、暴動はまずいにせよ、デモをおこすとか、何か強い行動に出なければ、傾いた日本を戻すことは出来なさそうである。今は耐えているだけである。
自由民主党は、悲しいことに、腐敗してしまったように思える。数名ほど、まともな議員もいるのかもしれないが、まともであれば、離党して、新党を結成すれば良いのである。受け皿を用意すれば、国民は自由民主党以外に投票できる。それだけのことである。ここまで国民から見放されたのであれば、時代が変わるということである。