唯一という言葉
こういう見出しを付けるとひっかけやすい。唯一などは無い。
しかし、比較的正解は限定的であるとは思える。
まず、周囲の情報源を洗い出してみよう。
家族、親戚、知人のミクロコミュニティ、そして、新聞、地上波、メルマガなどの受信型の情報、そして、ネットに代表される能動接触型の情報源である。
ただ、能動的に情報に触れているようでいて、結局は、自分の選り好みする情報を無意識のうちに選択していることは否めない。
結局のところ、もともともっている「個人的な性向・嗜好」に寄って行くのである。
洗脳は徐々に行われる 左傾化の話
裏の組織があったとして、個人的な性向を特定の方向に向けるときに何を考えるだろうか。それは、「少しずつ」変えていくということである。NHKも、愛国主義的な面もあったが、少しずつ、左傾化していった。過去の日本の歴史を深堀りしつつも、左派好みの番組を少しずつ混ぜていく。
まあ、日本も昔は鎖国していたわけだから、方向性としては、少しずつ左傾化するという理屈は、強引に理解できなくもない。ところがそれは、裏で利権をむさぼる勢力がいなければ、の話である。本当に世界が互いの国の利益を考えて、例えば貿易や協力関係などを得るために、互いの信条や宗教や思想を理解しようとするならば、それは素晴らしいことである。もちろん、ガラパゴス諸島の自然体系や、一部の部族のように、「踏み入れるべきでない尊い領域」はある程度あるのだろうが、交通手段や通信手段がこれほどまでにそろうならば、世界の大半は、互いに交流すべきであることに異論はなかろう。そして、通信を担うマスメディアが左傾化すること自体は理解できる。問題は、利権や欲望にまみれた一部の人間のために、多くの真面目な日本人が涙を流し、国益を損ねることが多すぎるという点である。左派そのものが悪なのではなく、左派には悪がはびこりやすいという話である。
情報源の種類 思考ベース
いちいち列挙するのは面倒であるが、とりあえず、新聞やメルマガ、地上波からの受信的な情報それ自体には、あまり意味が無い。発信側の思った通りに発信された情報に、たいして価値は無い。本当に価値があるのは、受信側がどう受け取ったかである。それは、地上波のどの瞬間を見たか、誰と見たか、集中して見たか、そういった状況にも左右される。
ところが結局は、その情報に触れる前に、個人の頭の中には大量の情報や常識が形成されている。ここまでネット社会になると、もはや地上波がどのような情報を流しても、「とりあえず、ネットで答え合わせだ」となるだけである。
ただ、ネットに正解が転がっているわけでもない。というより、個人的に正解と思いたい動画や情報を探し出してそこに触れて安心するだけのことである。本質的には、能動的なようで、実際には選択的な情報接触を行っているにすぎない。
上記は、思想や考え方について多くが当てはまる。
情報リテラシー 「無色の」客観的な事実
「無色の」客観的な事実、たとえば天気予報などは、ただその情報の正確性や発信速度のみが問題である。そこに左派もくそもない。災害情報もそうである。自然VS人間という枠組みにおいては、右派も左派も協力すべきなので、むしろ地上波にも価値がある。
ところが、客観的な事実について、このような無色なものの方が少ない。
例えば酷い事件があったとして、「事件を報道しない自由」「事件を何度も報道する自由」「実名を報道しない自由」がそもそもあるうえに、「コメンテーターを好き放題選ぶ自由」として、勝手に余計な解説をつけてしまう。事実の客観性はもちろん失われるし、そもそも、発信側に都合が良いように事実を選択して切り取っているのだから、事実はねじ曲がってしまうのである。
また、地上波で言えば、一日中テレビに張り付いて、様々なチャンネルを見ていない限りは、特定の時間帯しか地上波の情報に触れない。正確に地上波の発信する情報をバランスよく受け取るという状況は無い。
究極的には
地上波といっても、究極的には、「ものすごく大きな声でしゃべる近所のおばさん」でしかない。おばさんの頭の中に1000人くらいろいろな人が住んでいて、脳内処理を経て、大声で井戸端会議をしているのだ。そしてもちろん、それが絶対的な正解ではない。しょせん、噂話の延長線でしかない。放送局で何千人関与してようとも、一度に発信できる番組は1チャンネルにつき一つだけなのだ。
もちろん、貴重な公共の電波を使い、集団心理にはたらきかけているという意味で、責任は重く、虚偽の事実を報道したり捏造することは罪が重いのかもしれないが、それは、結局は受け取り側が地上波を信用しすぎた反動でもある。コマーシャルを見るという行動「だけ」で、無料で地上波を視聴し続けたことは悪いことではないが、その反動として、地上波を発信する側に好き放題されることも受け入れるべきである。地上波に対して直接的には金を支払っていないのだから。気に入らないなら見なければ良いのである。
金を払っているという意味ではNHKが一番の問題児である。むろん、すべての番組が問題なのではない。NHKが過去に日本に貢献した部分は認めるべきであるが、少なくとも最近は左傾化がひどくなってきている。そして、それが急に戻る可能性は低い。戻るならばすでに戻っているはずだからである。NHKそのものは解体せずともよいが、その代わり、日本の国益にかなう番組がほとんどなく左傾化してしまった責任を取って、受信料制度を廃止すべきである。民法と同じくコマーシャルの収益で成立させるべきである。
NHKは、究極的には「みんなから「日本の国益にかなう放送をするため」という名目で日本国民から金を集めて得た情報で有益な情報を大声でしゃべっていた近所のおばさんが、最近韓国にはまっている」状態である。「俺の金、何に使った?」と言われても仕方が無い。まあ韓国というよりは中国共産党であったりアメリカ民主党におもねる発信なのかもしれないが。とにかく、日本の国益第一とは程遠い。
一応フォローはしておこう。官僚や政党が変われば、結果的に総務省や総務大臣が変わるのだから、NHKが善良なNHKに戻る可能性は少しだけある。NHKそのものが「善」であるとするならば、今はNHKを攻撃するのではなく、結局は自民党の腐敗、官僚権力の暴走が根っこにあるとみて、そちらを攻撃すべきなのかもしれない。
とはいっても、直接的にはNHKは、あれだけの大金を国民から巻き上げているのだから、攻撃されても文句は言えないし、説明責任がある。
まあどちらにせよ、地上波といっても、結局は近所のおばさんと変わりない。いやむしろ、地上波はほとんど見ない層が今は多いのだから、近所のおばさんのほうがよほど影響力が強いかもしれない。
学校教育と日教組の影響
戦後まもなくならばこの影響は否定しない。ところが、今の日本人の軟弱ぶり(むろん、芯の強い日本人もたくさんいるが)を、GHQによる洗脳だとか、日教組のせいだと紐づけるのは、少し違うように思える。もはや、強くGHQの影響を受けた層は引退しており、それらの層から影響を受けた層も、そろそろ引退が近い。新時代はそこまできている。なお、学校教育の現場がブラックなのは、余計なことを考える暇がないようにする方法の一環であるようにみえる。仕事の効率化など、少し考えればいくらでもアイデアがある。残念ながら、ほとんどの学校は左傾化している。まあそれは、最終目標となることが多い大学が左傾化しているのだから、仕方が無いのではあるが。
ゆえに、今の若者が学校の先生に反発するのは、秩序こそ乱す行為ではあるが、むしろ直感的には正しい行動なのかもしれない。ただし、現場をミクロでみるともちろん、右派で熱血漢の先生も一定数いるだろうし、ただの許されざる非行でしかない行動も多々あることだろう。いずれにせよ、全体の流れとして学校は左傾化しているのだという理解は重要である。同和問題についても、ほぼ間違いなく、何らかの利権が絡んでいる。
いろいろ書いたが結論は
情報リテラシーを高める方法は、結局は自ら発信することである。アウトプットすることである。おかしな考えに洗脳されていたり、違和感がありながらも一定の考えに染まっている場合、不特定多数に対してアウトプットする中で、自己矛盾に気が付いていくものである。一方向でしか物事を考えられていない、多角的な発想が無い、そういった状況だと筆が止まるのである。理論だった文章にならないのである。
「多角的な発想」と、左派のいうところの「みんな仲良く」は全く異なる。多角的な発想というのは、何か特定のテーマに対して様々な角度から思考する、その思考の源泉をいうのであって、「みんな仲良く」というのは、結果としてみんな均一にという結果ありきのテーマなのである。思考段階と結果ありきの理屈をごっちゃにするからややこしいのである。