Welcome to math2.work!
【只今】math2.workへようこそ!数学をわかりやすくお伝えしていきます!【サイト大改造中!】

シュメールの歴史

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シュメール人の歴史

シュメール人が実際に居住していたのは前5500年から前3500年までのウバイド文化期と呼ばれる時期が最初であると言われている。この時点で「神殿」の建築が成されていたことが指摘されているため、人類初の都市という意味では、シュメールにおける前5500年のものといえるかもしれない。また、前3500年から前3100年までをウルク期と呼び、特に都市ウルクが反映したことが有名である。そして、ウルク期後期にはとうとうウルク古拙文字と呼ばれる絵文字が出現し、これを粘土板に掘って情報伝達していた。

さて、非常に重要なことであるが、前4000年ころから紀元後200年頃までにおいて、メソポタミア神話なる宗教が発展し、メソポタミア全土にわたり絶大な影響を与えたと言われている。信仰を伝えるための絵文字であるから、絵文字よりも先に信仰が発展したことは自然な流れであろう。

多神教であり実に2100ほどの神がいたと言われている。

その中でも序列があり、始祖アヌ、指導者エンリル、水神エア、愛と美の女神イシュタルがとくに有名である。イシュタルは二面性があり、ギルガメシュ叙事詩においてギルガメシュに対する一方的な思いや逆恨みについての記載が有名であろう。

ただし、これらの神話は突然、前4000年にできたわけもなく、次々に追記修正されながら完成されたと思われる。

さて、ジェムデト・ナスル期と呼ばれるのが前3100年から前2900年である。

初期王朝時代が前2900年から前2400年頃である。

ここで、ジェムデト・ナスル期は、研究チームの努力によって、ウルク期と初期王朝時代の間に、何らかの「間期」があることがわかり、「後から挿入された時代」であることは重要である。

キッシュとよばれる土地の数十キロ北部にあるジェムデトナスルという土地から発掘された遺構が、ウルク期とも初期王朝時代とも符合しなかったことに端を発する。ちなみに、この前3100年から2900年というのは、明確な記録によるものではなく、放射線による年代測定の結果である。

初期王朝時代の幕開けは、都市エリドゥにおける王権の誕生である。これが前2900年頃だという話である。

ちなみに、キシュ王のエンメバラゲシは、前2800年頃に在位したとされる王であるが、実在が確認されている最古の王でもある。

実は、初期王朝時代における王権の根拠となっているシュメール王名表は、例えば初期のエリドゥ王アルリムであるが、なんと在位が28800年なのである。

すなわち、シュメール王名表には伝説的な意味合いが濃く、しかし、実在する王についての情報も混在しており、さらに言えば、実在したであろう王も一部も、後に神話的扱いになっていたりするのである。

そういった意味では、重要ではあるが史実として真実であるかは今一つ客観性に欠けている。シュメール人の起源について、このようなあいまいさがあるため、いわゆる「シュメール問題」として今なお議論が尽きない。

さて、初期王朝時代の幕開けである前2900年頃においては、キシュ、ニップル、アダブ、シュルッパク、ウンマ、ウルク、ウルが有名な都市であったようである。これらの都市の興亡の順序は定かではなく、同時かもしれない。

いずれにせよ、これらの複数の都市「国家」の成立によって、その国家の王が、自らの業績を「王碑文」として残す流行りがあった。これらの王碑文は、シュメールの歴史を知る重要な手掛かりとなっている。

ここで、前2900年時点でのシュメール創世神話の一部を紐解いていくと、王権とは天から降りてくるものであるということと、原初の都市が、エリドゥ、バドティビラ、ララク、シッパル、シュルッパクであるということが重要かもしれない。

シュメール王名表においては、まず初期王朝時代の第一幕として、

・原初第1都市エリドゥの王アンリルが初代の王。2代目がアラルンガル。

・原初第2都市バドティビラの王は、エンメンルアナ、エンメンガルアナ、ドゥムジおよびタンムーズ

・原初第3都市ララクの王は、エンシパドジッドアナ

・原初第4都市シッパルの王は、エンメンドゥルアナ

・原初第5都市シュルッパクの王はウバラツツ

であって、これがティグリス・ユーフラテス川の「大洪水」以前の初期王朝時代であると書かれている。なお、洪水そのものは頻繁に生じているが、特に大規模の洪水が生じたことが示唆されている。

さて、初期王朝時代の第二幕として、

・キシュ第1王朝の王20名ほど(実在する最古の王エンメバラゲシを含む。この王はエラムを征服したと伝えられている。)

・ウルク第1王朝の12名ほど。ここで、神話上有名なギルガメシュも王として即位したとされている。

・ウル第1王朝の王4名ほど。

さらに初期王朝時代の第3幕として、

・アワン王朝の王3名ほど。

・キシュ第2王朝の王8名ほど。

・ハマジ王朝の王

・ウルク第2王朝の王3名ほど。これにはエンシャクシュアンナという、初めて「国土の王」を名乗った王を含む。これはすなわち、都市を超えた領域においての王を意味する。

・ウル第2王朝の王3名ほど。

・アダブ王朝の王

・マリ王朝の王6名ほど。

・キシュ第3王朝の王

・アクシャク王朝の王6名ほど

・キシュ第4王朝の王8名ほど

・ウルク第3王朝の王ルガルザゲシ

補足:ルガルザゲシは実在したとされており、かなり重要な人物である。紀元前2300年前後に在位したと推定されている。ルガルザゲシもエンシャクシュアンナと同様、国土の王を名乗り、実際、シュメールの主要都市の大半を支配下に置くほどの活躍を見せた。

ところが、アッカド王サルゴンとの戦いに敗れた。

なお、地理的には、アッカドとは南メソポタミアを占めるバビロニアの北半分あたりを指す。要するに、南はシュメールと隣接し、北西ではアッシリアと隣接しているような地理になっている。

・アッカド王朝の王10名ほど(当然、サルゴンが初代)

補足:非常に重要なことであるが、群雄割拠のシュメールの都市国家において、アッカド地方とシュメール地方の両方をも統治したアッカド帝国は、最古の統一王朝とも言われている。サルゴンは絶大な崇拝を受けている。なお、興味深いことに、この統治は直接的な支配というわけでもなく、おそらく市民はそれなりに変わらない生活が出来たものと推定できる。

なお、カナン部族であるアムル人や、ザグロス山脈の山岳民族グティ人、同じくザグロス山脈沿いのエラム人(前2700頃から存在し、前539年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされるまでずっと、ペルシャ湾沿岸にて一定の地域を維持し続けた。)などによって、アッカド帝国は滅びた(前2334年から前2154年までしか続かなかった)。

・ウルク第4王朝の王複数名

・グティ王朝(イラン高原南西にあるザグロス山脈に住む民族が、アッカド王朝を滅ぼして作った王朝)なお、この時点で紀元前2100年前後と言われている。

・ウルク第5王朝

・ウル第3王朝(5代目)かなり重要な王朝。前2112年頃の将軍ウルナンムが初代ウル王を名乗った。2代目シュルギ王は前2094から前2047の50年ほど治世を行い、アッカド帝国並みの勢力図を回復した。さらに、歴史的文書記録が大幅に増えた時期でもある。ところが、王権の交代に伴い次第に衰退し、マリ出身のアムル人であるイシュビ・エッラが権力闘争に勝ち、ウル第3王朝は衰退の一途をたどった。終止符を打ったのはエラム人の王キンダトゥであった。ウル王とイシン王は一時的に手を組んで戦ったが、結局は勝てず、ウル第3王朝はここで滅びた。

ちなみに、ウルク古拙文字は紀元前3000年頃から存在するとされる絵文字であるが、曲線が次第に直線となり、先端が楔状となり、文字数がウル第3王朝時代には400ほどまで減少したと言われている。実際にこのウルク古拙文字が記録媒体として認められるのは初期王朝時代第一幕である前2900年頃からかもしれない。

・イシン王朝(14代目)(アムル人国家)

といった流れが記載されている。

なぜここで終わるのかについては、この時点で口語のシュメール語が死語になったこと、アッカド語が支配的になること、実質的に、いわゆる「シュメール人」が歴史から姿を消すことが指摘されている。ただし、シュメール語そのものは、まだ形を残していくこととなる。

神話的要素も盛り込まれており信ぴょう性に欠ける部分はあるものの、特に前2400年以降あたりからは信ぴょう性が増してくる。

なぜならば、エンシャクシュアンナやルガルザゲシなどの「国土の王」が都市国家をまたいで支配下に置くことで、支配された側における記録と符合するかどうか確認できるからである。特に、前2334年から前2154年まで続いた最古の統一王朝ともよばれるアッカド帝国については、明確な年が記録されている。